残りの桜

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    もう一つの真珠湾

開戦70周年を迎える今、忘れてはならない歴史の一こまがある。
華々しい空からの真珠湾攻撃に対し、特殊の訓練を受け潜航艇により
海底から防潜網をぬけ真珠湾の米太平洋艦隊の撃沈を狙った10人の
軍人がいた。勿論死を覚悟の攻撃ではあったが、2人ずつ5隻の攻撃は
成果を収め得ず海の藻屑と化した。当時新聞は九軍神として報道され
これぞ日本海軍の鏡として崇められた。
「生きて虜囚の辱めをうけず」の時代、一人不運にも捕虜第一号となったのが
このうちの坂巻少尉である。彼は収容所で幾度か自決を試みも思いとどまり
後々他の日本人捕虜の統率者としてアメリカ軍からも信頼されたと言う。
彼は、山本五十六、米内光政等海軍の指導者を輩出した江田島海軍兵学校
の第68期生である。
(その時のかれの胸中を思う時いかばかりか・・・・と胸が痛む。)
「生きて虜囚の辱めを受けず」・・・・・・・・・・・遠い遠い昔話かな~

写真上は、旧江田島海軍兵学校(現自衛隊第一術科学校)
写真下は、アメリカから還された特殊潜航艇(甲標的)
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by igarasi09 | 2011-12-24 11:51