残りの桜

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忘れえぬ日々

昭和19年7月71943年(昭和18年)から1944年(昭和19年)前半にかけて連合国軍はソロモン諸島、ギルバート諸島、マーシャル諸島、ニューギニア島のパプア半島を攻略し、カロリン諸島、パラオ諸島、マリアナ諸島へ迫った。

マリアナ諸島は、アメリカ軍の新型爆撃機B-29が展開すれば東京など日本本土の大部分を攻撃圏内に収めることができる位置にあるため、戦略的に重要であった。アメリカ軍は中国の成都市にもB-29を進出させており、1944年6月16日の八幡空襲を皮切りに日本本土空襲を開始する直前の状態であったが、成都からでは九州など西日本の一部しか攻撃できなかった。もし、マリアナからの本土空襲が始まれば日本は関東の工業地帯を破壊され、さらには民間人に大量の死者を出すことや国民の士気が低下して戦争継続が困難となることが予想された。

7月7日はサイパン島の玉砕の日である。この後マリアナ海戦の敗北、そしてB-29による本土爆撃が行われるようになった。サイパン島では3万1千人の内2万5千人が戦士、5千人が自決した。
最近の旅行ブームでガダルカナル等上記島々にも多くの人たちが楽しむという。何十万の同胞の玉砕の地、
太平洋の島々がある。心中穏やかならずは、残る桜の愚痴であろう。

by igarasi09 | 2012-08-09 07:01